MBAなど海外獲得タイトル

海外の話になると、どこども大学でと....海外学習組サークル仲間であることを誇りたがる人がいる。そんな発展途上国のようなことはなくなるに違いない。自分の場合は、そんな先読みをして、タイトルでよい未来を開こうなどという考えもなく、むしろ未来をふさいでしまうことになる覚悟をして出かけたのだが、この予想は外れた。

それどころか、ますますひどくなっているような気がしてならない。自分は得をしたのかと振り返ってみると、確かにそんな気がしないでもないが、損したことの方が多かったかもしれない。海外では学位はしっかりと認めてくれるが、日本では邪魔になることもある。博士号とかけて、足の裏の米粒ととく。そのこころは、取っても食えない。そんななぞかけもあった。

私の頃は、企業としてもどう扱っていいかわからず、奇異に見られていた。

それが今はすっかり変わった。海外での自分の話をする人が、誇らしげによってくる。話は大したことはない。食い物の話しなどで、まるで井戸端会議である。最近の研究動向などの話をすると逃げていってしまう。

このようなたぐいの人たちの中には未来のリーダーはいない。自己学習の潮流が変わったように思えてならない。海外のどこの学校がいいでしょうか。そんな質問には、もう適当にしか答えない。

あなたが、今、私くらいの年齢だったららどうしましたか。どうしてそう聞いてくれないかと思うが、こう聞かれたことはない。これからはMBAがないといけないですよね。そう聞かれたら、「ハイ」と答える。ウソではない。けれども、私が若かったらそうはしない。ちょっと視野を広げれば、もっと可能性が見えてくるのに、そんな経験をさせられることが多い。

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合理的を改めて考えるための本

合理性について改めて考えたいので、易しい書籍を紹介してほしいと言われることがある。易しいのはあまり知らないが、紹介することがあるのがこの本だ。

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合理的とはどういうことか (講談社選書メチエ)

そう書かれているのだが、学生になって、講義を聞くような感じの本である。

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偏見、先入観 - 4つのイドラ

自分の体験を通して、役立つ考え方を深く掘り下げながらも易しく伝える。自分の研修はいつもそうしてきたつもりだ。だが、時として、先哲がもっと簡単に整理してくれていたのをいつの間にか忘れていたのに気がつき、失礼しましたと思わず言ってしまう事がある。

ベーコンの説いたイドラ(ラテン語で、偶像を意味するアイドルの語源)もそうだ。4つのイドラとは、種族のイドラ(共通の偏見)、洞窟のイドラ(自分の好み)、市場のイドラ(口コミによる伝言)、劇場のイドラ(権威による幻惑)だが、組織構成員であれば、よくあてはまるのがわかる。

イドラを取り除くと真理にたどり着けるとベーコンは説くのだが、真理は見なくていいという人もいるのが、現実の組織だ。そんなときどうするか。もちろん、真理を見てもらうとはしないのが今の私だ。人それぞれの時と役割があり、見なくていいという決定をした時点で、存在は確認したわけだから、あとは、その人に任せる。

いやそうではないと言う人もいるだろう。そんな人と二人講師体制で行ったらおもしろいかもしれない。

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レベルが高いのに、思考をしない?

日々の業務は思考の連続のはずなのに、思考する事が減っているような気がしてならない。ひとつの理由は昔から減らない定常業務のためだろう。といっても、Ccメールのチェックなども定常業務になっているから、減らそうと思えば、減らせるはずだ。

研修トレーニングの場で何らかのスキルで課題を解決するトレーニングをしていると、昔より資質が高いのではないかと思う。最近の人たちのレベルダウンがその理由でもない。

では何が理由なのか。それについては、ある仮説を持っている。

最近の傾向に、優秀とされている人へのますますの依存がある。「彼/彼女に任せておけば大丈夫」「彼/彼女ならうまくやってくれるはずだ」そう言って、考えるのを放棄してしまう。実際にこんなケースに出会うと、あれ?っと思う。なぜそこで、考えないのだろう。そんな事をしていると、それくらいの事もすぐに結論がさせないのか、と思われてしまうような雰囲気がある。大規模プロジェクトのプロマネ選考でさえも、その分野の専門家でない人なのに、彼に任せれば大丈夫だという話になってしまう。確かに優秀なのだろうが、優秀な人が間違えた時の被害はとても大きい。間違えないから優秀なのだというかもしれないが、優秀な人の間違いというのは、はっきりとした間違いはほとんどなく、終わってみて判明するからやっかいなのだ。

小さな所でも、存在が認められた人が意見を言うと、彼が言うのだからと、それ以上考えない。自分もある程度のレベルだとわかっていて、その自分が認める人だから間違えようがないと、自分で考える事をしなくなっている。ここにある間違っている思い込みは「あのレベルの高い人が行っている事だから、議論をし、説明を受ければ自分も納得できるはずだ。だから、議論をするまでもない。良い雰囲気なのだから、その雰囲気に水を差してはいけない」というものだ。

知的レベルが高い人が集まっているからこその落とし穴だ。

決定には、確かにスピードが求められる。拙速の大切さをわかっていながら、判断業務をきちんとすることの重要性を集団として知っていないと、何も考えなかったのと同じになってしまうので、注意が必要だ。

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他力の効用

自力と他力は、仏教から来た言葉だと思う。わかりやすいので、自力の重要性を強調する時によく使われる。思考をして問題解決をしていこうとするのだから自力に決まっていて、他力は関係ないと思われるかもしれないが、他力もある。最近それに気がつかされた。

他力という言葉には、自主性、自分の力で行う事を放棄し、他人任せという感じがあるか。

けれども、他力とは、ただ人に頼るというのではない。

他力とは、他者(この場合は、自分より力がある思考能力、経験の上位者)からの働きかけという意味だ。働きかけに感謝し、受け入れ、手助けを得るという事になると、目的合理性からするととてもありがたい事になる。

自分も賢明に行うが、非力な自分はついエゴが働き出しているのに気がつかないままにいることもある。そんなとき、他力のままにする事をするという感覚は、とても大切だろう。

正確には違うのだが、リーダーに必要なサーバント感覚は、これだという気がする。リーダーに従うメンバーに他力を教えるのではなく、リーダー自身が、ひとつ上位の存在を置きメンバーのサーバントであり、リーダーであるというものだ。最近のマネジメント研究の動向を知らない人にはわかりにくい話になっているだろうが、他力という日本的な概念は、とても良いヒントを与えてくれるのではないだろうか。

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状況把握と合理性

自分の置かれている状況がわかっていなければ、適切な課題設定などできないのは当然のことである。状況把握は、合理的に行わなくてはならない。
しかし、実際には、合理性を超えた決定が行われることがある。

若手の頃、ある量販店の売り上げ予測を頼まれたことがある。その新興住宅地で早い時期から出店し成功していたのだが、隣りにこの地域のディベロッパー系の大型店が出店することになった。地域の人たちには迷惑な話だが、この大型店と私が担当していた量販店の人の流れを断ち切るような設計になっていた。その規模からこの店の行き先に対して悲観的な見方がされていたが、ごく少数、長年の勘からこの店は大丈夫と太鼓判を押す人が一人いた。

私たちは、冷静な分析から、悲観的な見方をせざるを得なかった。そして、早期に業態転換をすべきとのレポートを出した。大型店開店日には店は閑散とし、利益も大きく減るだろうと思われたが、実際は違った。この店は大丈夫と太鼓判を押した人の勝ちだった。

この人は何を見たのだろうか。

その後、この人と親しくさせていただきたくさんの事を学ばせていただいたのだが、この人はこう言っていた。
「状況は厳しいのは、あなた方のレポートからよくわかった。私も同意する。けれども、私はあの店はよく知っている。よいスタッフがいて、団結心がある。だから大丈夫だと感じたんだ。」
この人は、大型店開店数ヶ月前から、支援スタッフとして店に入り、さまざまな働きかけをしていた。

私が失敗したのは、形勢を読み切れなかったからだった。

Best and Brightestよろしく、私たちがエリアマーケティングの統計データを分析していた頃、この人は、店のスタッフを盛り上げ、優れた兵隊を作り上げ、種々の戦術を用意していたのだ。

形勢の“計”は、統計数字のことで、“勢”、勢いは、人が発想し、働きかけを行い、自己に有利な状況を作り出す事だ。

“勢”は、“計”を助け、補ってくれる。しかし、“計”の有利さに頼ってばかりいて、“勢”を作り出せないと、“計”のすべてが動き出さず、つまりどこかが動かず、負けてしまうことがある。

合理性というと数字にばかり注目してしまうのだが、熱い“勢い”もクールに見られなくてはいけない。

大型店開店日、小さな規模になってしまった量販店の来店者数がそれまでの最大数を記録し、レジの行列がとんでもない長さになって、その対応に追われる様子は、私の大きな教訓になっている。

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ネポティズム(縁故主義)

惜しいなと、思う事があった。会社幹部の思考をより一層論理的にし、ミス判断をなくしたい。よくある依頼だ。さらに加えて、社長からは、事業の後継者にしたい息子の相談相手になってくれと頼まれていた。ちょっとした育成係だ。これもよくあることである。こんな時には、「決して無理はしませんから」と言う事にしている。
この息子さん、ある研修会の参加者の一人だったのだが、たまたまあるセッションに参加できなかった。そんな人が数人いたので、補講をと思って申し出たが、一人だけ参加を断った。おかしな理由ではない。みんな納得していたし、私も引き留めるほどの理由はまったくないと思ったが、惜しいと思った。

ネポティズムは、合理主義とは相容れないものであるが、いろいろな理由があって忍び込んでくる。明らかな無能者をひいきにしては迷惑どころか、組織に大きな影響を与えてしまう。ややこしいのは、それなりに能力がある場合で、この息子さんは、それなり以上の能力があることを本人も周りも承知していた。だから、断り方もていねいで、理由も納得出来るし、別の機会の設定も依頼し、普通なら何もおかしな所はないのだが、創業者社長の息子だからという気持ちまではぬぐえなかった。本人にもその意識があった。問題はその意識の存在とそれを周囲に感じさせてしまうことなのだ。ネポティズムは、利益を受ける人の気持ちに微妙なゆるみをもたらすので困るのだ。。

優れた組織の指導者になる人間は、周りからもり立てられてなるのだ。組織がすばらしい働きをするのは、優れた一人の指導者の力だけによるものではない。優秀なスタッフが必要だが、優秀なスタッフは、自分が中堅幹部の時に見つけておくべきものだ。このスタッフが、組織の長になる助けになり、長になった時の同志になる。。

この息子さんは、このまま行けばやがて社長になるのだろうが、同志を作る努力をしていない。惜しい機会を逃したと言うべきだろう。自分は特別だという印象を与え、自由に振る舞うのではなく、無理をしてもみんなと同じ時間を持つべきだった。

さて、どうしたものだろうか。
これは、本人の自覚以外の何ものでもない。ちょっとしたヒントを提供し、お誘いはする。面倒を見るのは、私の場合はそこまでだ。

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感情と論理

最近はあまり見られなくなったように思うが、昔は、日本人と欧米人の意思決定の違いというと、感情と論理の影響について言及さる事が多かった。すなわち、欧米人は感情の影響を受けずに論理的に決めるが、日本人は論理という理屈ではなく感情に影響されるというのだ。だから、人間的に冷たい欧米人対人間的な日本人という言い方もされた。私も、以前は、こんな整理の仕方を参考に見せる事もあった。

日米の意思決定の違い

だが、欧米人にも感情はあり、決定が感情に影響されないわけではない。また、日本人も欧米的な論理的思考をするようになり、気持ちだけで物事を押し切るような事はしなくなったし、グローバルスタンダードという欧米思考の浸透と共に、気持ちだけでの意思決定などしようと思っても出来なくなってきている。

何に基づいて論理展開をするか、価値がベースにあるのだから、ある絶対的な価値基準を基にすれば、あまりに感情的な決定も決して論理を忘れた感情だけの決定とは言えなくなる。

感情に訴える人の困った点は、感情のベースになっている価値観が自分だけのものではないと信じ込んでしまう事である。「わかるだろ...」「こんなのは当たり前の事じゃないか!」そういわれて、同意を強制されても困るだけである。つまり、考える事を放棄して、自分の方に来る事を強制しているのだ。

考えるのは、相手をわかるためである。論理で考えれば、論理は普遍的なものなのだから、上下関係や過去の貸し借りなどという余分なものなしに、お互いにより納得感が得られる結論に到達しやすいのだ。

感情の軸を大切にするから人間的で、論理だけで決めるのは人間的でないという話しに持っていくことはできない。フェアな関係で相手を尊重するには、論理的である事も重要な事である。

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目的と目標と手段と価値

目標と手段は違う。これは、思考力を鍛える上での基本である。目的と目標も同様に違う。これは、未だによく間違えられるので、セミナーの中でも参加者に確認し、わからない人がいると整理を手伝う。目的、目標、手段と階層構造で考えられるようになれば、大いに示唆を得られる。

価値は、どれにも関係するが、価値がもっとも刺激を与えてくれるのは、目的を考えるときだ。

目的、目標、手段の関係の説明はすばやく終わらせ、価値を考えてもらおうと思うのだが、年配者でも整理に手間取る。この概念は、日本ではQCでも語られてきた。QCで鍛えられた人は、スッと入っていける。その関係で年配の人は親しんでいたのだろう。

しかしQC自体が繁栄期を終えるに従って、目的、目標、手段の整理が当たり前にできた人たちが少なくなってしまったようだ、これは、“価値の時代”にとても困る傾向だ。QCについては、批判的に語られる事が多い。しかし、計算の力が弱くなってきたと言われるが、日本人はQCでずいぶん思考の基礎体力を付けたのではないだろうか。

価値が重要になっているが、その一方で基礎体力が落ちている。考えるのではなく、気持ち、好き嫌いで価値を考える事ほど危険な事はない。改めて、メルマガで取り上げなくてはいけないテーマだろう。

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これからの意思決定で大切な事 - もう少し具体的に

今年は、4日から新年の稼働が始まったようだ。さっそくいくつかの会合に出席してきた。

このブログに目をとめていただいた方々と、「納得感のある規律が存在し、それに従って運営できる」という基準について話した。

それからすると、日本の首相は、米国新大統領は、という話しにもなった。日本では、納得感のある規律さえない。提示されていもしないし、話しにならない。好き嫌いレベルなので議論する以前の状態だろう。大国訪問の際にみせた顔がいけなかった。テレビに映された様子は、一方ではうれしさの笑顔、もう一方はそうでないと対照的だった。もう困ったというレベルである。米国の大統領選挙はおもしろい。米国が新しさをどのようにとらえ、選択できるのだろうか。ちなみにクリントン氏は、新しくない。古いブランドのイメージがある。では....。いずれ整理して、私なりの予測もしてみたい。

新製品選択の例を出したせいか、ブランドがこれから大切だという人に複数会った。どこかでそんな話を聞いたのだろう。ブランドは、安定した市場でなら大切になるが、激変市場するでは、違う。富士フイルムの「アクシア」ブランドの成功例が有名だが、カセットテープがなくなってしまった今は昔でさえこのようだから、ブランドに寄りかかると、大変な事になる。最近の事例では、脱「サムソナイト」戦略を取った鞄のエースが興味深い。

これからは、ブランドではなく、プレミアを大切にしなくてはいけない。プレミア商品を生み出すマーケティング力があるかどうかが鍵だ。プレミア戦略は、世界では行われているが、日本企業はこれからだ。先頭を追いかけるのが得意な日本としては、これに目を付けた企業は、ライバルを追い抜く事ができるだろう。
(なお、企業ブランドと製品ブランドは、当然ながら混同して議論してはならないが、関係するところもあるのは当然である。)

以上については、価値という観点からも、十分に興味深い示唆が得られるが、それは別の機会にしよう。

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