“情”と“理”
合理的に考えると結論はこうなるが、しかし...割り切って考えられない場合がある。気持ち、情が働くからだ。
ある人を助けるために他の人を犠牲にするかという選択決定問題として有名な問題に「トロッコ問題」や「カルネアデスの舟板」がある。それぞれ法理論、倫理学で有名だが、脳科学からの興味深いアプローチもある。
「トロッコ問題」のように選択肢を限定して決定を強制的に選ばせるのは、真の問題解決的アプローチではないが、ギリギリの状況に直面したときに、問われるのが、“価値”だ。割り切った計算をするとこちらの選択肢だが...瞬間に“理”の結論は頭に浮かぶのだが、“情”が働き、最終的に選び取る行動は“価値”に基づくものだ。そんなギリギリの状況で考えなくても済む世界がこれまで続いていたのかもしれない。しかし、多少の事には目を当てずとか、そんな事まで考えなくてもといった事が通らなくなってしまったようだ。世の中が大きく変化し、ちょっとした事が組織全体に影響を与えるようになってきて、一人一人が自分の価値観を問われるようになってきたようだ。
トロッコ問題
走っているトロッコの制御が利かなくなった。 このままでは線路の先にいる5人がトロッコに轢かれてしまう。線路の切り替えレバーを引くとトロッコを別路線に移動させる事ができるが、そうすると別路線にいる別の1人が轢き殺されてしまう。さて、トロッコを別路線に移動させるべきだろうか?
線路の先には5人がいて、目の前の人を線路に突き倒してトロッコを止めるべきかという問題もある。
カルネアデスの舟板
難破船から海に投げ出された男が一片の板切れにつかまっている。そこに、同じ板につかまろうとする者が出現した。けれども、二人が板につかまると板が沈んでしまうので、板につかまっていた男は、後から来てつかまろうとする者を突き飛ばし、海におぼれさせた。これは許される行為だろうか。

