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ネポティズム(縁故主義)

惜しいなと、思う事があった。会社幹部の思考をより一層論理的にし、ミス判断をなくしたい。よくある依頼だ。さらに加えて、社長からは、事業の後継者にしたい息子の相談相手になってくれと頼まれていた。ちょっとした育成係だ。これもよくあることである。こんな時には、「決して無理はしませんから」と言う事にしている。
この息子さん、ある研修会の参加者の一人だったのだが、たまたまあるセッションに参加できなかった。そんな人が数人いたので、補講をと思って申し出たが、一人だけ参加を断った。おかしな理由ではない。みんな納得していたし、私も引き留めるほどの理由はまったくないと思ったが、惜しいと思った。

ネポティズムは、合理主義とは相容れないものであるが、いろいろな理由があって忍び込んでくる。明らかな無能者をひいきにしては迷惑どころか、組織に大きな影響を与えてしまう。ややこしいのは、それなりに能力がある場合で、この息子さんは、それなり以上の能力があることを本人も周りも承知していた。だから、断り方もていねいで、理由も納得出来るし、別の機会の設定も依頼し、普通なら何もおかしな所はないのだが、創業者社長の息子だからという気持ちまではぬぐえなかった。本人にもその意識があった。問題はその意識の存在とそれを周囲に感じさせてしまうことなのだ。ネポティズムは、利益を受ける人の気持ちに微妙なゆるみをもたらすので困るのだ。。

優れた組織の指導者になる人間は、周りからもり立てられてなるのだ。組織がすばらしい働きをするのは、優れた一人の指導者の力だけによるものではない。優秀なスタッフが必要だが、優秀なスタッフは、自分が中堅幹部の時に見つけておくべきものだ。このスタッフが、組織の長になる助けになり、長になった時の同志になる。。

この息子さんは、このまま行けばやがて社長になるのだろうが、同志を作る努力をしていない。惜しい機会を逃したと言うべきだろう。自分は特別だという印象を与え、自由に振る舞うのではなく、無理をしてもみんなと同じ時間を持つべきだった。

さて、どうしたものだろうか。
これは、本人の自覚以外の何ものでもない。ちょっとしたヒントを提供し、お誘いはする。面倒を見るのは、私の場合はそこまでだ。

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