カテゴリー「思考力アップ研修」の記事

レベルが高いのに、思考をしない?

日々の業務は思考の連続のはずなのに、思考する事が減っているような気がしてならない。ひとつの理由は昔から減らない定常業務のためだろう。といっても、Ccメールのチェックなども定常業務になっているから、減らそうと思えば、減らせるはずだ。

研修トレーニングの場で何らかのスキルで課題を解決するトレーニングをしていると、昔より資質が高いのではないかと思う。最近の人たちのレベルダウンがその理由でもない。

では何が理由なのか。それについては、ある仮説を持っている。

最近の傾向に、優秀とされている人へのますますの依存がある。「彼/彼女に任せておけば大丈夫」「彼/彼女ならうまくやってくれるはずだ」そう言って、考えるのを放棄してしまう。実際にこんなケースに出会うと、あれ?っと思う。なぜそこで、考えないのだろう。そんな事をしていると、それくらいの事もすぐに結論がさせないのか、と思われてしまうような雰囲気がある。大規模プロジェクトのプロマネ選考でさえも、その分野の専門家でない人なのに、彼に任せれば大丈夫だという話になってしまう。確かに優秀なのだろうが、優秀な人が間違えた時の被害はとても大きい。間違えないから優秀なのだというかもしれないが、優秀な人の間違いというのは、はっきりとした間違いはほとんどなく、終わってみて判明するからやっかいなのだ。

小さな所でも、存在が認められた人が意見を言うと、彼が言うのだからと、それ以上考えない。自分もある程度のレベルだとわかっていて、その自分が認める人だから間違えようがないと、自分で考える事をしなくなっている。ここにある間違っている思い込みは「あのレベルの高い人が行っている事だから、議論をし、説明を受ければ自分も納得できるはずだ。だから、議論をするまでもない。良い雰囲気なのだから、その雰囲気に水を差してはいけない」というものだ。

知的レベルが高い人が集まっているからこその落とし穴だ。

決定には、確かにスピードが求められる。拙速の大切さをわかっていながら、判断業務をきちんとすることの重要性を集団として知っていないと、何も考えなかったのと同じになってしまうので、注意が必要だ。

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スキルトレーニングへのこだわりを捨てきれない人たち

昨日までスキルトレーニングを実施してきた。問題解決のための○○法というやつである。大変ご好評をいただき、追加コースも決まった。

これは、私がある米国系会社の契約講師として実施したものである。とてもいい内容だと自分でも思っているが、問題点がある。それは定着化がうまくいかないということである。どれだけたくさんの会社が導入し、たくさんの費用を投入したことだろう。年間1億×数年間ということを続け、やがて思ったほどの効果はないとやめてしまう。これがずっと続き、この会社も存続している。

導入プランの策定時、契約講師ではあるが、担当事務局とのお話の場に極力立ち会わせてもらっている。そして、上記のようなお話を率直に申し上げ、「御社のニーズにあったコースにしましょう」と、数日の時間をいただき、内容を練り上げ、カスタマイズしたコース計画を策定し、提案する。

ところがこれがひっくり返ってしまう。営業担当者と、導入先企業の担当者の上司の仕業である。「まずは標準のコースでやります」と、公開コースで行われているものに戻されてしまうのだ。
標準コースなるものは、おもしろく、盛りだくさんで、いろいろなことを教えてもらえる。時間は楽しく過ぎ、わかったような気分になる。直後のアンケートは“良いコースであり、ためになった”という声で満たされる。
研修事務局も、参加者も、営業担当者も満足し、高額コースではあるが、それなりの投資に見合ったような気になる。

講師として、厳しい指摘もさせてもらうが、指摘し、次へのアドバイスをして、それで終わりだ。時間もない。指摘された方も、ハッと気がつくが、その次の瞬間は、もう別の話題に頭を切り換えなくてはならない。

知る → 理解する → 使えるようになる → 身についたと言える状態になる

この最初の段階で終わってしまう。

講師としては、知らないよりはいいのだろうと自らを慰めるのだが、スキルであるからには、知ってわかった気になっているレベルから、本当のスキルトランスファーにまで持って行きたいと、強く思っている。その方法も知っているし、成功例も経験している。けれども、標準を外れることへの恐れを取り去ってあげることまではできていない。一緒に飛び出しましょう誘うのだが、鳥かごの中のゲームで満足する方を選ばれてしまう。

「今までこのようなやり方をしたことがありますか?」
そう聞かれたら終わりだ。カスタマイズしているのだから、初めてやるに決まっている。

カスタマイズしたコース計画の説得力を増し、効果あるコースとして実施すること。これが、今の私の問題である。

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スキルトレーニングに加えて

問題解決のスキルトレーニングを始めてから、ずいぶんと長い年月が経過した。その間、スキルの重要性への認識は深まるばかりだが、それだけでは不十分だという感が次第に強くなっている。

時代は確実に変化していると実感している。

十数年前、私が日本で問題解決スキルのトレーニングを始めた頃は、スキルがあれば問題解決に大いに助けになった。構造化された問題が多かったし、多くの大企業では、問題解決をやりきる仕組みができていた。そこに乗っけることができれば、ほぼ成功したようなものだった。主要メンバーも基礎教育を十分に受けていたので、やりやすかった。

ところが、これが大きく変わった。

リーダーシップを発揮して、問題解決の構造を作り出す事が、まず必要になった。これができなければ、スキルだけあっても、いつどこでどのようにスキルを使えばいいのかわからないままなので、スキルがかえってじゃまになることさえある。

では、最近はやりの“リーダーシップ”を身に付ければ、問題解決スキルは生きるのかというと、これは間違いない。しかし、この両方を持った人間は、いつでもどこでも力を発揮するのかというと、そうでもない。これは、このような人間が複数いるチームを考えれば、よくわかるだろう。
力のある人間同士の協力関係の形成をリーダーシップやフォロアーシップ、さらにはチームビルディングのひとつに加えて考えることもできるが、どうもそれではスッキリしない。

基本的に考えるベースにあるものが違うと、力を発揮できないのだ。自分が問題解決を通して何をしたいのか、自分のエネルギーを注ぎ込み、場合によっては自分の糧を得る手段を失ってでもそれをするかといった決断をしないと、問題は本当に解決していかないのではないか、ということなのだ。

問題解決のベースには、自分の大切にしている価値観があり、価値観が折り合える場にならないと先へ進んでいかない。こんな問題意識から、価値を基礎とした問題解決を考えていくことにする。

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